パチンコはある部分では宝くじと同じではないでしょうか。夢を見るって部分が。当たったらアレを買おう、コレを食べよう、あそこに行こう。

後に取り返せはしたものの、8月のズンドコ収支を見返してため息。感謝デーのクジで当てようとしていたエアドッグも、遠いサブホにも気軽に行けるようになるパナソニックの電動自転車も買えたなあ。買えたなあ。

それでも何度も修理しながら乗ってきた我がママチャリ・ガタピシ号を捨てて乗り換えるって事が出来ないでいます。

ただ、勝てば国産のものを意識し、近所のこぢんまりした商店でなるべく買うようにしたりとちょこまかちょこまか遣っておるわけです。こうしてパチンコで勝ったお金は基本的に遣います。私のような独り者は社会に還元すべきだという考えからで、だから負けるとダイレクトにフトコロに響いてしまう。けどそれで困るような事になれば、パチンコはやめればいい。大人だもの。依存症は脳の問題だから別としても、コロナ禍では行けなかったけれど、寂しいけど我慢できていたわけです。自分をコントロール出来なくなるのは愛だけだ。なんつってなんつって。

とにかく老後のために必要な分だけを持っていれば、もうあとは遣ってしまうこと。それを自分に課している次第です。

ユニコーンの新台もちょこっとだけ打ってみました。ヘソが大きいからって「バンバン決まるわけでもないんだな」というのが第一印象です。お客が飛んでいたので、何らかの何かが施されて回りに変化が起こったという事なんでしょうね。知らんけど。

惜しいな、とちょっと思います。何故なら、考え方が違うんです。何度か「入った玉は全て採用せい」と訴えてきました。せっかく入ったのにオーバーしてるんで抽選は受けてないわけでしょ?それがイヤというのもありますが、ようするに「止めたくない」んです。

自転車に乗れるようになったのは30超えてからの私ですんで、ちゃんと信号は守ります。けど、青、青、青と続いて、のわ点滅!て時に「止まりたくない」心がもたげてせめぎ合うわけです。おそらく何らかの症状名が付いているんじゃないですかね。

この順調な感じを止めたくない。よく回るとしても止めて流れを澱ませたくない心理。ようするに打ちっぱにしたいんです。不思議な事に、お店も「打ちっぱにしてくれ」と願っているんですよね?

10月の頭では大負け。それ・でも、ユニコーンをゼロゼロからミドル勝負する俺かっけー!な精神状態でいました。そういった面は紙一重で、痛い目にも遭いますが、その時にどう受けとめ、どう考えるかで私は変わっていくのでしょう。「よく考えること」は安田プロの教えです。皆さんから見れば「ちょっとちゃうんちゃう?」かも知れませんが、これまでずっと守ってきています。くだらない事を含めて、私はパチンコを打ちながらずっとずっと考え続けているのです。

あ、そうでした。電動自転車は買いませんでしたが、パナソニックのアルカリイオン整水器は買いました。パチンコも整いたいところですな。なんつってなんつって。

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