植草恭平氏と書いても大抵の方はそれ誰?だと思います。まず、メディアでも聞かない名前ですが昨年1度だけ、大崎氏のユ―チューブで名前が出ていて、その(植草という人の)パチスロに関する意見はおかしいと言っていたのですが、どんな人かは知らない、としていました。

それを見ていて、植草氏を知らないの?とそう思ったのでした。はい、1965年生まれの植草氏は長年パチンコ攻略マガジンウェブ有料サイト内で「植草恭平の攻略人生録」と題して毎週執筆をされていた方。昨年終了した「徒然草」と共に、通勤途上のバス内などで興味深く拝読をしていました。

そして昨年の年末に衝撃的な記事が掲載されました。それは第351回目のコラムにて、植草氏が闘病の末亡くなった、との記事でした。なのでもう植草氏のコラムを読むことは叶わなくなりました。その弔いの意味も込め、今までの植草氏のにわかには信じられないような攻略人生をココに紹介したいと思います。

コラムの第1回目は2017年12月10日。「パチ&スロの歴史は攻略の歴史」」と題し、もともと自分はパチ&スロの攻略を担う会社に所属し、パチスロ必勝ガイドや必勝本の創刊でも攻略の記事を担った。実機を仕入れ、解析人を加え、ROM解析できる環境を整えて情報公開した元祖であった、としていました。そしてマガジンでも「攻略裏回胴」として連載をしたことで主要3誌のライティングを手掛けたことになり感無量、とのことでした。

そして攻略をしたパチンコ機は、(0号機)ブラボーシリーズ、ニュークラウン、ルーキーZ、タコフィーバー、アイドルセブン、ターボR、(1号機)ブラボー10、エキサイトヒーロー、ファイヤーセブン、サン・スカーレット、キャプテンルーキー、フィーバーゴールド、ワイワイワイなど、今のパチンコファンが聞いたことの無いような古い機種が、具体的な攻略法(大抵はストップボタン使用)と共にコラムになりました。

特に稼げたのは、スーパーセブン(安田プロを思い出しますね)パート1・3・4・5、そしてスリープパート3、ブラボー10、だったとのことでした。また、時給最大はエキサイトヒーローで大当たりさせるのに10回転かかれば遅いと言われた、とのことでした。パチンコ同様、パチスロも0号機時代から入門し1号機時代から攻略。記事に書かれた機種は、ブロンコ、アーリーバード、シャトルワン、ボナンザ、ナイアガラ、2号機になり、アニマル、チャレンジマン、アラジン、ガリバー。

ちなみに、安田プロも使用経験がおありの「体感器」。この名付け親が植草氏であり、植草氏のチームが試行錯誤しながら制作し販売したのが初、としています。その試行錯誤の過程で、振動については車のウインカーパーツを採用した、販売後も改良を加え、プロが殺到した話までコラムに書かれてる訳でございます。

自身が世に出した体感器の精度アップの為、温度変化により周期のズレが発生しないかも研究。また夜通し動かし24時間経ってもズレがないかも検証しパチ、スロそれぞれプロ連から抜群の信頼を得るも、後に受けた体感器違法扱いは残念がっていました。

さて、パチの攻略は私もけっこうしてきましたが、私が打った台は殆ど出てきません。というのは最新でCRモンスターハウス体感器攻略の記事の後、別のギャンブルへシフトして行ったから。まずは「TV麻雀」攻略へ。そしてカジノの世界。まずは「ポーカー」次いで「ブラックジャック」さらに「ルーレット」と、歌舞伎町界隈でいかにも怪しい裏の世界(アングラ)の住人として、その攻略者たる生きざまやトラブルをコラムに書かれていました。

昔からいろんなデータを残してないと書けない数値、手順が沢山でてきます。それらを抜きにしても凄い記憶力であると感心しつつも、当初はパチンコ攻略の話には限りがあり、数年で終了かなと思っていましたが、まさかのカジノ編に突入しまだまだ攻略人生の話が終わる気配はありませんでした。

実質植草氏の最後のコラムは第350回目(2024年12月27日掲載)。ルーレット編の2回目。そしてルーレット編の後はバカラ編。そしてその後、日本にカジノがオープンした暁には合法カジノ攻略の記事を書く意欲を示されていたそうです。しかしそれが叶うことはありませんでした。そして最後となった350回目のコラムは「ルーレットの達人、そのコーチ料は50万円」。

内容は、多額のコーチ料はかかるもののルーレットの達人を紹介してもらえるようになるお話。ルーレットの達人ともなれば、落とすタイミングを計ることで狙いの目か1コマ違い程度までは操作が可能とか。今後はマスターした技を駆使して現場で立ち回るお話が予想できる流れではありました。

そして先日、ポーカーのプロ(優勝賞金1億とか)のお話がTV放映をされていたり、映画「トリリオンゲーム」を視聴し単純なポーカーのルールにして凄まじい心理戦が繰り広げられてる様に植草氏がダブったりしたものでした。