完全専業のなかで稼ぎの少なさ日本一、つまりは世界一、すなわち金メダルのポチです
どうも、みなさん、こんにには
と、いつもの流れはここまでです
パチンコとかけ離れたことを書きますし、長文ですし、読める文章にできる自信もないので、怒る可能性のある方は、読まないことをおすすめします
日にちを関係なくして普通のブログを~とも考えたのですが、素通りしてふざけたことを書くことを身体が拒絶するので、どうかお許しください
本日、2月25日はポチにとって運命の日でした
新生なんて言葉を使うと、気でも違えたんじゃないか、と思われる方もあるかと思いますが、そんな言葉を使いたくなるほど、人生で二度あった大きな転機の一つが起きた日です
ポチや皆さんが普段眼にするようなライターさんというのは、華やかな見た目や、胸を打つような文章を書かれる、大変きらきらしい方々ですが、ポチのようにパチンコのみで日々の糧を得ようとする非人は全く異なるものであります
状況が良く、瞬間的に食い繋いだ若い方は早い段階で足を洗って新たな道へと進みますし、何年も一線で活躍できるような才の方は、やはりある程度のところで、もっと効率の良い稼ぎへと比重を移し、兼業あるいは転業していかれます
そうなると、現場に残るのは、世に出るまでの足掛けとして、瞬間的に稼ぎの場としてパチンコを選ぶ力ある若者と、社会から弾き出されたポチのような不適合者のみとなっていきます
常に道の端を歩きながら日陰者として生きていくことも、自身としては相応であることを認識しているので、それこそ口笛を吹きながらの生活なのですが、まわりにいる人間にとってはたまったもんではありません
当時、祖母の家でたまたま居合わせた親族が見せた、パチンコで生計を立てていることを白状したときの苦り切った表情を、同情こそすれ、責めるようなことは出来るはずがありません
最後まで世間になじむことのできなかった父と、その子であったポチ
祖母は、何を言われようとポチら親子を庇い続け、その結果、どうしても祖母だけでは補いきれぬ負担を、親族が背負わねばならなかった昔を考えれば、
「ポチ、お父さんだけではなくお前もか…」
と悪夢再来、疎む気持ちも当然です
いくらポチが迷惑をかけぬと心に決めたとて、トラブルに巻き込まれたり、重い病を患ったりすれば、望まぬ負担をかけてしまう可能性が、普通の社会人よりもはるかに多いのです
まわりの人よりも、他人の力によって生かされてきたポチは、その庇護を与えてくれた人たちの意向に無条件で従わねばならないのですが、ポチの中の業ともいえるものがそれを拒否しました
親族の疎む意識は、次第に「やはりあのとき…」「おまえのお父さんも…」父へと移っていくことに堪え難い思いを感じましたが、『ただ、息を吸って、吐く』、それだけのことにも誰かに感謝しなければならなかった境遇は、父が辱められることにも、反論するという選択肢を当の昔にポチから奪い去っていました
なにより、もし自分がこのようなことを言いださずに全うな道を選んでいれば、父が辱められるようなことはなかったはずです
そう、今もなお、日々、努力を怠り、怠惰を貪り、腹が減っては残飯を漁るようにパチンコを打って、その場をしのぐだけの生活を続ける、自身の腐った性根せいだからです
つまりは、受けて当然の誹りなのですが、
「べつに、ポチが、お前たちに何か迷惑をかけたわけではないだろう!」
と、祖母はそのようなことがある度に激昂していました
祖母は普段、常に陽気に笑っている、孫におならをかがせることを何よりの楽しみにしているおかしな人でした
おならを嗅いだ孫はお小遣いがもらえる制度があり、みな正座する祖母のおしりに顔をひっつけ、よしきた、と祖母は勢いよく、ぼぶん、と放屁し「おばあちゃん、本当に臭い、本当に臭いよ!!」と、もんどりうつ孫を見て大笑いしながら、ひとりひとりに50円をあげるユーモアのある人でした
ただ、そんな陽気な祖母も、事があれば、眉間にしわを寄せ、瞬間も表情を緩ませることなく、それこそポチに責があった場合であってすら、一歩も譲らずにポチを庇い続けました
そもそもの始まりは、母が恋に狂って逃げだしたとき、父と四人の子が残されたのを見て
「放っておいたってどうにかなる」
「夫婦、家族の問題で、あたしらがどうこうする問題じゃない」
「そうやって甘やかすから、父も母もダメになる」
と激しい反対の中を、
「別にお前たちに同意を得る必要はない!」
と独断でポチらを抱え込んだのが始まりでした
その後、半分の姉弟は母方に引き取られ、それを機に、親族は父を祖母の庇護から切り離そうとしましたが、祖母はまるっきり聞く耳を持たず、断固受け入れませんでした
父は、ただ涙を流しながら抱きしめることしかできない不器用な人だったので、もし祖母の庇護がなければ、ポチら親子は生きることもままならなかった筈です
また数年後、父がそれほど多額でもない反則金を支払うことができずに交通刑務所に入っていた数カ月の間、ここぞとばかりに、
「そうはいっても母親なのだから無理やりにでも引き取らせよう、嫌といったところで責任があるのだから押付けて帰ってくればそれでいい」
と、受け入れることを幾度となく拒否した母のもとへ返そうと、再度、祖母に対して説得を試みました
「返した後に、○○(母)がどうしたところで、あたしたちはここまでしてあげたんだから、褒められることはあっても責められる謂れはない。なんの負い目を感じる必要もない」
「それに○○(父)が一人で育てることはできないだろうし、そもそもこうなった原因だは○○(父)にだってあるのだから、いつかは納得してくれる。いつまでもこのようにしているわけにもいかないし、これが、みんなのためになる」
必死に皆が訴えるも、祖母はただ顔を横に振るばかり
「母さんにしている仕送りだって、いつまで出来るかわからないんだよ、そうじゃなくても足腰が立たなくなった時のために貯めておかないといけないお金なんだよ」
と仕送りの停止をちらつかせて、力づくで説得を試みても
「あたしが貰ったお金をあたしがどうしようとおまえらの知ったことじゃない!そんなに嫌なら、いますぐ仕送りなんかやめていい!!」
とむしろ激しく憤って、ただの一点も譲ることなく撥ねつけていました
もし、祖母が背負う必要性の欠片もない僕らを、「在るべき場所」に返していたならば、ポチの人生は今とは全く違うものになっていました
ポチにとって、「人」とは関わった分だけ借りができてしまうもので、「生きること」は、その借りを、殴られ、差し出し、あらゆる形で生涯をかけて返済していく、苦痛に満ちただけのものの筈でした
ですが、そのような考えを、祖母の存在だけは許してくれませんでした
返済を強要されることのない愛情をこれでもかと注いでもらって生きてきました
それは、人に対して絶望しているポチにとって、たった一つの例外、唯一の希望でした
経済的にどんな厳しい状況であっても弱音を吐く姿を見せことはなく、いつも笑っている気丈な祖母でしたが、ポチにとっての叔父、祖母の長男が亡くなったときに見せた姿が、ポチの心を激しく打ちました
火葬場で、「りゅうぼう…りゅうぼう…」と幼少時の長男のあだ名であったろう名を嗚咽しながら呼びつづけ、親を追って泣いて縋る子供のように、ぽろぽろと涙をこぼしながら、よたよた台に載せられて炉に入っていく長男を追おうとする祖母
そんな祖母を本当に僅かな力で叔母と抑えながら、ポチは忘れていた小さいころを思い出しました
思い返してみれば、ポチの兄が亡くなったときも、父が亡くなったときも、祖母はこのように激しく慟哭していたのでした
そのとき、ただ流されるままに生きてきたポチも、自分の人生において最初で最後の、「絶対に、何があっても、祖母より先に死なない」という約束事を自らに課しました
しかし、いつ何があったところで、誰も困ることはなかろうと、自由に生きてきたポチにとっては、言葉以上に重い約束事でした
いづれは野垂れ死ぬんだろうな、と考えていたパチンコでの生活も、絶対に勝たなければならないものとなり、台が見つからずに負ければ、吐くほどのプレッシャーを感じながら対峙するようになりました
生きることの重さをこれでもかと知りました
これは祖母のはなしであり、あまりにも長くなるために省きましたが、泣いて縋る父と祖母を捨てて「笑いながら」母のもとへ行ったこと、それによって亡くなった父の事、堕ちるべく宿命付けられた母のもとでの数年間の生活、ポチが生きていくうえで、あまりに多く犯した過ちを清算するべく過ごした期間でもありました
幸運にもめぐまれ、自分で飲み込める程度の清算は済みましたので、兄と母には、以前からそうしようと決めていた通り、祖母が旅立つと同時に
「僕は父方に戻ります、といっても、みんなお墓の中に入っちゃったけれど、これからは、その墓をのんびり眺めながら静かに生きて行こうと思います」
と言い残して、縁を絶ちました
2011年2月25日、祖母は天寿を全うし、そして、ポチとしても天命を終え、生きている意味は失われました
まあ、失われた、というよりかは、あるべきところに帰ったと言ったほうが正しいっすね
その後、二年間近く呆と空を眺めて過ごし、思い出したように三年間打ち倒し、また呆としているところです
しかし、余生として過ごすには、あまりに死ぬまでの時間が長いので、どうしたもんかと困り果てているのも正直なところ
まあ、とりあえず今日のところは、トロトロと車を走らせ、お忙しいドライバーさんにクラクションでも鳴らされながら、皆に会いに行ってこようと思います
あ、ばあ様の大好物だったドデカミンを持っていきたいんですけど、今年もまだ売ってますよね?汗
ps気分じゃないので、収支は来週まとめて記しますハイ
いつも拝見しております。
ポチさんはとても人間として素晴らしいと感じてます。
今の世の中にある常識や世間体の様な物差しや目的と、物心ついた時感じていた素直な気持ちとのギャップを日々感じているのですが、ポチさんのブログを読む度、心に素直な方がいる事がわかり嬉しい気持ちになります。
要らない、生きてはいけない命は無い、お身体には気をつけて今後も頑張って下さい。
匿名様!!
とうとうポチの良さを理解して下さる方が…、はい冗談です
いや、そんなんじゃないんです(汗
人が口に出さないことを口にすれば評価されるだろう、との卑しい心根がいつもあるんです
なので、過分なお言葉をいただいても恥じ入るばかりですが、それが誤解からでも、匿名さんに嬉しい気持ちになっていただけたのなら、これほどしあわせなことはありません
ありがとうございますm(__)m
あ、それと、死にませんのでご安心下さい笑